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   電気通信事業法をめぐる省察   
   

   
                                                    『エコノミスト』 62巻14号 1984年 (匿名)  
   

● 通信アンデンティティーの喪失
 「よらしむべし」という上意下達が成立し、「士・農・工・商」という階級分化が存在していた時代には、日本に、国のアイデンティティーと称するものがあっただろう。
 戦後の情報社会は、こうした上意下達のコミュニケーションを否定しながら(これが民主主義)、階級を利益集団へと変質させることによって(これが専門化)、構築されてきた。この結果、たくさんの利益集団が自分の関心にもとづいて、自己主張をするようになった。こうして、どうやら、国のアイデンティティーというものが、薄められてしまったようである。
 つまり、それぞれの利益集団が、これが日本のアイデンティティーであり、ナショナル・インタレストであると考えるものが、食い違ってきた。
 その典型例が、いま話題になっている通信(とくにVAN)をめぐる国の内外にわたるアツレキである、といえる。
 通信の国家的秩序が重要と考えるのが郵政省だ。情報産業の育成が先決であるとするのが通産省だ。経団連は、日本経済の国際的な展開のなかで、この問題を処理しようとするだろう。それぞれが、日本の通信はこうあるべしと考え、自己の主張を日本の主張と重ねているわけだ。
 通信は、これまでは通信事業者(電電公社など)が独占して引き受け、国内でも、国際間でも、あまねく等しいサービスをしてきた。ところが、情報社会の進展によって、あらゆる領域の業務が、通信なしには実現しないようになってきた。こうして、だれもが通信にかんしては一家言ある、ということになった。この結果、通信にかんして百家争鳴という状況になったわけだ。
 通信関連企業にとってみると、世界中を市場としている通信機器メーカーと、まだ幼稚産業を脱せない情報通信サービス業とでは、通信に対する期待は違うだろう。また、通信のユーザーであっても、すでに、国際化が実現した製造業と、自由化を迫られている金融業とは、態度を異にするだろう。
 そして、それぞれの産業セクターの態度と、それらを管轄する官庁の立場とは、微妙に一致し、かつズレるだろう。こうして、通信アンデンティティーの喪失という現象が表面化してきたわけだ。
   
● 多元化する国際間の調整
 問題をさらに混乱させているのが、海外諸国との関係だ。通信は、ほんらい国際的なものであり、そのための基本的な協調がITU(国際電気通信連合)でとられてきた。
 だが、通信の役割が拡がるにともない、ITUでは諮りかねる通信問題が出てきた。たとえば、プライバシー問題(例、個人情報の国際間流通)であり、サービス貿易の問題(例、商用コンピュータ・ネットワークのグローバル化)である。いずれもが、ITUとはべつの場に移った。前者はOECDが議論をはじめ、後者は、OECDやGATTが取り上げようとしている。
 これだけではない。国際商工会議所(ICC)が電気通信サービスについて、国連取引法委員会(UNCITRAL)が電子的資金輸送について、世界知的所有権機関(WIPO)がデータベースについてというように、さまざまな国際機関がそれぞれの立場で、通信にクチバシを入れてきた。
 これらの国際組織は、加盟国も違えば、関心の焦点も違う。こうして通信問題は、国際的にみても拡散し、多元化してきた。  ここに米国が登場してきた。ATTとIBMにみるように、米国は情報通信分野で圧倒的な強みをもっている。その米国が自由化の名のもとに、その持てる力を全世界に及ぼそうとしている。このために、米国は通信分野の自由化について、さまざまな国際機関に影響を与えながら、同時に二国間交渉によって、自国の意志を通そうとしている。その主要な相手国が日本である。
 このためには、米国は変幻きわまりない手を使うだろう。米国は日本とのあいだに、貿易委員会、貿易円滑化委員会などのルートをもっている。これらは、ほんらい通信問題を扱うルートではない。しかし、ここでデータ通信利用制度が議論されたことがある。ついでながら日本側の担当は、貿易委員会は外務省、貿易円滑化委員会は通産省である。現在、電気通信事業法の制定にかんし米国から異論が日本に寄せられているとのことである。どんなルートによって異論が寄せられているのか、局外者には分からないが、通り一遍のものではないだろう。
 国内での利害が錯綜している。国際間の調整もままならない。米国は通信問題を貿易問題にすりかえて圧力をかけてくる。こうしたなかで電気通信事業法は、21世紀にまで見通した通信秩序を提供しようとしているわけだ。そのためには、何が第一義となるか。
   
● 倫理観が大切
 情報通信の領域は、低成長の産業界にあって、残された成長分野である。とくにVANは、そのための舞台として注目されている。だから、さまざまな企業が参入をするはずだ。だが多くのばあい、参入するのは情報通信にかんしてはズブの素人であろう。
 問題は、ここに局外者にはなじみにくい商慣習があるだろうということだ。なぜならば、情報通信とは無体財産を扱うものであり、ここでは法律上の権利義務の扱いがほとんど無整備なのである。もうひとつ、情報通信とは独占性の強いものである。(アングラ新聞はありえても、アングラ・キャプテンはありえないだろう)。
 つまり、これまでの社会が経験しなかったような取引が、一方ではアナーキーに出現し、同時に、他方では独占的に成長する可能性がある。そうした危険性をもっとも含むものがVANなのである。
 だからVANを扱うためには、情報通信にかんし人一倍ナイーブな倫理観が求められるのである。だが、ここにたくさんの素人の参入が予想されるとすれば、野放図は許されまい。規制も必要ということになろう。ただしこのためには、規制側にもそれに見合う見識が問われるということになる。はたして、郵政省の官僚諸氏にそれだけの器量ありやいなや。                   

   
    名和小太郎   書評の背景(11)                          トップペ−ジへ   「書評の背景」リストへ   次へ   前へ