doc12

   
   知識の私有と公有   
   

   
                                                 (『技術標準 対 知的所有権』 中央公論社 1990年)より  
   

(前略)
● 知的所有権の現在
 前世紀のなかばから、企業はしだいに技術をとりこみつつビジネスを展開するようになる。このような企業にとって特許制度はビジネス活動を支えるシステムとなった。企業は経済的合理性のもとで行動する。この企業を支える制度のほうもそれ相応の姿をとらなければならない。このような環境のもとで特許制度は験されつつ洗練されてきた。いまや、この制度への企業の依存は高まるいっぽうで、企業の出願数は制度のもつ処理能力を慢性的にオーバーフローするまでになった。
 いっぽう著作権については、その制度が本来あいまいであった。しかも本質的に人文的な知識を保護する制度であることから、ビジネスや技術との関係も薄かった。したがってビジネスの発想でみると、制度としては現在でもなお未整備のままに残されている面がある。
 ところが二○世紀後半になり、在来の特許制度ではカバーできない新技術、新商品(サービスを含む)が出現してきた。とくにコンピューター関連の分野でこの傾向がいちじるしい。
 そこで特許制度になじみにくい知的権利を著作権で保護しようとする発想が生じてきた。幸いにも著作権は未整備であるだけに拡大解釈の余地がある。つまり柔軟性に富んでいる。これが新しい技術や商品にかかわる企業のつけ目となった。
 ただし、なにぶん制度の枠外にあったものを制度のなかに引きこもうとする行動である。そうした行動について社会的な合意をうるためには相当の努力を要する。その一つのあらわれが著作権をめぐる法廷係争の頻発である。これによって判例をつみあげ制度化を図っていこうというわけである。それだけではない。法廷外でも商事仲裁による新しい知的所有権の制度化が試みられている。さらには新しい制度の普遍化(国際化)のために政府間交渉(多国間、二国間)が展開されている。
 このようにして、今日、知的所有権制度全般をめぐり、新しい制度づくりのために多面的な努力が試行されている。こうした事情を考察することが、この本の第一の課題である。
(中略)
   
● 技術標準の現在
 標準は一定の空間、一定の時間のなかで固定されなければ効用を発揮できない。だが、現代の経済社会は目まぐるしく動いている。新しい技術が開発され、新しい商品が市場にでる。これにともなって技術標準のほうも際限なく増大する。たとえば国際電信電話諮問委員会(CCITT)による標準化のために作成したドキュメント(勧告)の量をみよう。これは1968〜72年の会期には3000ページであったものが、73〜76年には4000ページ、77〜80年には6000ページ、81〜84年には1万0200ページ、85〜88年には1万8000ページになった。まさにシジフォスの努力である。標準案を行ごと、ページごと、冊子ごとに審議していては間にあわない、キログラム単位で検討することにしよう、とジョークの出た委員会もあるらしい。
 このようなシジフォスの努力にもかかわらず、標準は現在激しくゆさぶられている。
 第一に、新技術、新商品(サービスを含む)の出現にともなって、標準化空間のなかで多種、多数の標準が存在することとなる。しかもそれらは相互に並立し、あるいは交錯しはじめた。この並立、交錯の状況が、最近とくに錯綜してきた。
 第二に、標準化空間の「領域」の軸についてみると、古典的な分類が乱れてきた。新しい技術の出現はかつて異なっていた領域を融合させるようになった。このために既存の標準間に競争や衝突が生じる。あるいは既存の標準の空白部分に新しい標準を必要とするようになった。「局面」の軸についても同様である。とくにサービスの分野で空白がいちじるしい。
 第三に、標準化空間の「水準」の軸についてみると、さまざまの機関が同一の対象にたいして標準化作業をおこなうようになった。あるものについては企業水準が優先し(事実上の標準)、他のものについては地域水準が先行し(標準のブロック化)、べつのものについては国際水準が優越している。しかも、同一水準にある隣接分野の標準化機関が技術の展開とともに重なったりしている。ここでも、それぞれの間に競争と衝突が生じている。
 第四に、本来、公共財であるべき技術標準を私有化しようとする主張が出現してきた。つまり、技術標準の知的所有権化である。
 このような環境のなかで、既存の標準は陳腐化したり、矛盾したり、必要な標準がなかったり、ということになった。つまり標準の制定と改変は新技術、新商品に激しく追いたてられるようになった。このへんの状況を追うことが、この本の第二の課題となる。
   
● 規範 対 多様性
 1970年代末、巨大自動車会社のジェネラル・モーターズ(GM)は、工場に4万台の制御機器をもっていたが、そのうち相互に接続できるものは15%にすぎなかった。当時のR・B・スミス会長は、この状況を嘆いて「工場はバベルの塔である」といった。工場内の機器がフランス語、イタリア語、ロシア語、中国語、ハンガリー語を勝手にしゃべっている、というのである。
 はたしてこれを嘆く必要があるのか。規範のないことは問題ではあるが、その代わりにここには技術の多様性が存在している。規範を重視するのが標準化第一の立場であるならば、多様性を尊重するのは知的所有権優先の立場につながる。規範を求めることによって技術基盤が整備され、多様性を追うことによって技術開発が促進される。ここに微妙なトレードオフがあるにちがいない。                   

   
    名和小太郎   書評の背景(12)                          トップペ−ジへ   「書評の背景」リストへ   次へ   前へ