doc13

   
   創造的破壊の覚悟   
   

   
                                             『情報社会の弱点がわかる本』より JICCブックレット 1991年  
   

情報社会では、すべてのものは、あまりにも速く変わる。商品もサービスも、いままであったものが陳腐化し、新しいものが創造される。電報が消え、パソコン通信が出現した。LPが、たった数年でCDに置き換わった。ワープロにいたっては、半年もたつとニュー・タイプが市場に出現する。
 ビジネスの方法にしても、新しいものが引きつづいて現れる。クレジット・カード、メーカーやスーパーのジャスト・イン・タイム、公共料金の自動振込、宅急便、など。しかも、これらの方法がどんどん国境を越えて国際化する。
 私たちの日常行動も変化した。電車の出札や改札は、いつしか自動化してしまったし、銀行の貯金、預金にいたっては、ユーザーが自分で端末を操作するようになった。また通勤電車内では、新聞を手にしていた人がヘッドホン・ステレオを耳にする人へと代わりつつある。  職業も変わる。システム・エンジニアをはじめ、カタカナ職業が増える。芸術も変わる。電子楽器が新しい音響を創造する。犯罪も変わる。コンピュータ・ウイルスが跳梁する。
 このように、すべての分野にわたって、新しいものが、しかも入れかわり立ちかわり登場する。そのつど、それまであったものは陳腐化し、社会から退場する。
 まさに、「創造的破壊」といった姿が、情報社会にはある。この創造的破壊の主はだれか。それは情報技術と通信技術である。
 いま語った変化は、創造的破壊とはいっても、創造がさきで、その結果破壊が導かれる、という構造になっている。その点、まあ心配はない。
 ところが、創造もなければ破壊もない、という分野がある。とうぜん、激しく変化をつづける社会とはズレ、そこに空白の場所が生じる。それはどんな分野か。法律の分野である。情報技術、通信技術が掻き回していく社会のなかで、法律は後手後手にまわる。電子情報の知的所有権にしても、コンピュータ犯罪にしても、個人情報保護にしても、法律が手をうったのは、問題の所在が認識されてから一〇年はたっている。手をうったあとでも、まだ問題が残っている。
 法律には、社会の秩序維持という大切な任務がある。だが、その法律が陳腐化し、空白の場所を残している。とすれば、どうしたらよいのか。しばらくは、社会を構成する個人個人の善意、法人の善意に頼らざるをえない。つまり情報社会というものは、性善説によって、からくも維持されている社会なのである。疑う人は、金融(情報社会の先端的ビジネス)の世界における「信用」ということに思いをいたしてほしい。
 情報社会をこのように創造的破壊の社会と理解すれば、オーウェルの『一九八四年』以来くりかえされている「情報社会=管理社会論」は、思弁的かつ空想的、情緒的かつ党派的な主張であることが分かるだろう。
 現実の情報社会はアナーキーに流れ、したがって脆弱になるのである。だからこそ、個人や法人の善意が問われるのである。                   

   
    名和小太郎   書評の背景(13)                          トップペ−ジへ   「書評の背景」リストへ   次へ   前へ