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   通信自由化を見直す   
   

   
                                                    『朝日ジャーナル』 12月4日号 1987年 
   

● 「公衆法」から「事業法」へ
 電気通信事業法という法律ができてから来年で3年になる。通信事業というものは、国内的には明治以来、また国際的にはほとんどの国で、公共領域にあるものとされていた。この法律は、そうした通信事業を民間領域に移すことを狙うためのものであった。
 この法律の付則は、施行後3年以内に必要とあれば見直しの措置をとれ、と規定している。この見直し規定をめぐってすでに論議がはじまっている。この小論の狙いは、上の論議の尻馬にのって一言してみるということである。それも供給側の論理で消費者へのインパクトを量ってみるということである。そこで論旨はおのずからねじれたものになる。
 結論をさきに示そう。通信の自由化はビジネス分野には活性化の進展をもたらした。だが生活領域においては戸惑いをまきちらしている。こういうことになる。
 これは旧法と新法の名前を比較してみてもわかる。以前は「公衆電気通信法」といった。これが「電気通信事業法」になった。この変化が通信自由化の性格をズバリ表現している。つまり「公衆」が消えて「事業」が登場したのである。
   
● 国内は「まだまだ」および「まずまず」
 話の順序として、新しく登場した「事業」の姿を眺めておきたい。
 通信自由化の狙いはなんであったか。まずこの分野にたくさんの民間企業を誘いこみ、その創意をおおいに発揮させることであった。つぎにここにさまざまの事業機会を作り、それらをめぐる競争によってビジネスに活性をもたらすことであった。折もよし、そうした事業機会の種となる技術手段が、情報通信の分野に百花りょう乱として出現してきた。
 事業法は、通信事業者を第一種(自前の設備をもつ通信事業者)と第二種(いわゆるVAN事業者)の二つに分けている。このいずれの事業者も、自由化のあとで、どんどん増えている。
 第一種事業の分野は、かつてはNTTの独占市場であったが、いまでは2桁の数になる企業が参入し、競争をはじめた。
 ただしこの分野の競争は、まだ名目的なものにすぎない。まずNCC(新規参入の通信事業者)の実力にいまだしということがあり、さらにNTTの交換機が旧式でNCCのネットワークと接続できなかったりするためである。専用回線のサービスでみると、NCCのうち先行する3社を併せてみても、その事業規模はNTTの1%にも達しない。
 こんな事情で、自由化のメリットをもっとも享受しているのはNTTである。この巨大企業はたくさんの子会社(電話帳からパソコン通信まで)を作り、隣接分野への事業進出を積極的におこなっている。
 このようにみてくると、第一種事業においては、自由化のメリットは「まだまだ」ということになる。
 第二種事業の分野も、かつては民間の参入が原則不可であった。だが自由化ののちに、ここにはもう3桁の数にのぼるVAN事業者が参入している。VANという言葉の意味は「付加価値を付けるネットワーク」ということである。それはネットワーク設備それ自体は借用し、これにさまざまな知恵を付けてサービスすることである。
 こちらのほうには活気がある。さまざまの業界からたくさんの企業が参入している。そのなかには流通、運輸、出版、広告、商社などがみられる。
 このようにたどると、第二種事業については、自由化の狙いは「まずまず」ということになる。
   
● 国際化は「まずまず」
 通信の自由化という政策決定は、たぶんに自由化の数少ない先進国・米国からの圧力によってなされた。すでに通信が競争市場になっている米国にとっては、かつての日本のNTTによる市場独占制度は非関税障壁であるというわけであった。通信ネットワークは、本来、国境を自在に越えることができるはずである。それなのにこのような障壁があっては困る、というのが米国の言い分であった。自由化は米国の言い分に応えた。
 したがって自由化の結果は、国内通信にとどまらずに国際通信にも及んでいる。第一種事業については、大英帝国の遺産ともいうべき巨大な英国籍の通信会社が日本市場への進出を画策している。第二種事業については、国際VANという形で、国際条約を超える自由化が実現しつつある。自由化の効果は「まずまず」といったところか。
 じつは法律の見直し対象となるのはここまでである。だから個人ユーザーのレベルでは、自由化の「直接の影響」は電話機のデザインが多様になったとか、長距離電話の料金が安くなったといったことにとどまる。
 だが「間接の影響」までみるとすれば、通信というものが社会のインフラストラクチャであるだけに、まことに広汎にわたる。以下、これについて追ってみることにしたい。
   
● 波に乗った企業ユーザー
 通信自由化は、通信事業の競争を通じて、通信ユーザーの活動を活発にしようという含みももっていた。
 しからばユーザーについてはどうか、ということになる。ユーザーといっても企業がユーザーのばあい(企業内、企業間の電話、データ通信など)と、個人がユーザーのばあい(家庭から/への電話など)とがある。
 企業ユーザーと個人ユーザーとは、通信の利用法がまったく違う。企業ユーザーのばあいには、通信サービスをするのは本来の事業をこなすためである。だから電話を一本かけるにしても、それがサービス向上に役立ち、しかもコスト節約になるように工夫する。一方、家庭利用のほうは、利用それ自体が目的となる(極端な例に小林恭二氏の描く『電話男』がある)。つまり電話は通じればヨシ、という気配となる。
 企業利用のほうはどうか。ここでは通信自由化のメリットを思いきって活かしている。この分野ではコンピュータをネットワークの核にしたデータ通信が中心になっている。郵政省ネットワーク化推進会議の試算(1986年)によれば、日本の企業がここに投入している金額は5兆1,600億円になる。
 この調査によれば、事業所の1割がデータ通信を利用し、そうした事業所では4人あたり1台の端末がある。この傾向は、とくに金融保険業と卸売業で著しい。この調査はさらにネットワーク化の動機を聞いているが、それにたいする答えには「省力化」と「迅速化・正確化」が圧倒的に多い。つまり「効率化」ということである。
 ここで一言注意しておきたい。ネットワーク化の進展については(あとで言うネットワークの国際化を含めて)、そのすべてが通信自由化と直接に関係あるとまでは言いきれまい。だが、通信自由化を求めた社会的環境が過激なまでのネットワークを進めている、と言うことは許されるだろう。
   
● 社会化する企業ネットワーク
 データ通信は、ひとり企業内に閉ざされたものではない。それは企業の枠を越え、一般の消費者の世界にまで手を伸ばしつつある。警察庁の調査(1985年)によれば、東京証券取引所上場企業(2,560システム)のうち顧客および一般市民がアクセスできるシステムは450もある。その典型例が銀行のキャッシュ・ディスペンサ・システム(CDシステム)である。
 企業のネットワーク・システムは、さきにも注意したように「効率化」を旗印にして動いている。とすればこれらのネットワークはその企業のメリットを個人ユーザー(消費者)に押しつける道具となるだろう。
 ただし、この企業のメリットを消費者にも納得させるには、それが個人ユーザーにとってもメリットがあるもの、つまり相互に役立つものでなければならない。
   
 だから、互恵的な発想をもつネットワーク(たとえば銀行のCDシステム、信販会社のカード・システム)は成功し、そのような配慮を欠いたネットワーク(たとえば電話セールス・システム)は失敗しているのである。この点、個人ユーザーはきびしい選択をしている。たとえば個人情報のデータベース化にしても、消費者は銀行や信販会社にたいしては許し、電話セールス会社にたいしては苦情を申したてるのである。
 究極のデータ通信システムといってよいものに株式のグローバル取引システムがある。ここでは金融取引の専門家がコンピュータを駆使して洗練された取引を展開している。このグローバル・システムが取引するものは、株価指数の先物とかスワップとかいったまことに抽象的、人工的な記号である。
 だがこのような抽象的、人工的なシステムが、じつは消費者に大きな影響を及ぼすようになった。その典型例が10月19日の株式暴落である。その日ほとんどの消費者は(かれが株の所有者であると否とを問わず)世界経済の行方を案じて息を呑んだことだろう。
   
● 戸惑う地域情報化
 消費者にとっては、通信自由化の影響は、このようにビジネスを通じてのものが圧倒的である。だが、もう一つの筋もある。それは地方情報化を通じての影響である。
 通信制度の自由化を契機として、中央の省庁は競争してさまざまの地域支援政策を進めはじめた。通信自由化は中央省庁にも事業機会を与えたことになる。テレトピア(郵政省)、ニューメディア・コミュニティ(通商産業省)、インテリジェント・シティ(建設省)など。いずれも、通信自由化をテコとして地域の活性化をはかろうというものである。このほうの影響はどうか。
 どの政策も、自治体(またはその意を帯した第三セクター)が中核となり推進するという建前である。自治体が表にでれば、ビジネス領域の情報化とは異なる旗印を立てることができる。それは「公共領域における情報化」という旗印である。
 その中身は、あるいは住民サービス型であり、あるいは地場産業振興型である。大雑把にいうと、都道府県レベルの情報化には地場産業振興型のシステムが多く、市町村レベルの情報化ということになると住民サービス型(とくに安全、福祉)のシステムが増える。
 住民サービス型の地域情報システムはどんなになっているのか。統計をみると、防災行政無線システム、救急医療システムなどが主なメニューである。(だがこれは自由化前から整備されてきたものである。)
 その他をみると、キャプテンにたいする地域観光情報の提供者になる、といった程度のものが大部分である。その担当は多くのばあいに総務課である。総務課担当ということは地域情報化について専門の担当課がないということだろう。地域情報化の実態はおよそこの程度である。(産業振興型システムについては、企業システムのミニチュア版とみればたりる。けっこう難儀なことではあるが。)
 ところで、地域情報化のリーダーシップをとるはずのキャプテンがいっこうに冴えないことはご承知のとおり。三鷹の地域実験システムなど、主役のNTT自体も愛想をつかした様子であった。
 つまり地域情報システムを通じての自由化の影響は、まだスローガンどまりで戸惑っているということになろう。
   
● ネットワーク化を見送る自治体
 地域情報はじつは自治体に集積している。だが、ここにある情報は地域情報システムには使えないのである。およそ地域行政というものは住民の要望に対応したサービスをおこなうのが主務である。だからここには、個別にアクションがとれるように個人識別のできるデータが整理、保管されている。
 だが個人情報の保護については、このところ住民の認識が高まってきた。その結果、個人保護条令を制定する自治体は毎年増加している。自治省の調査(1987年)によれば、この種の条令、規則のある自治体は、府県レベルで94%、市町村レベルで32%に達している。このような条令がつねに禁止するものは、システム間のオンライン接続である。したがって住民基本台帳を核とするシステムをもつ自治体は、ネットワーク化の効用をまず発揮できない。
   
● 近いは遠い、遠いは近い
 このように眺めてくると、状況はまことに倒錯している。なにが倒錯しているかといえば、消費者にたいするネットワーク化のインパクトというものは、地域社会という日常的な空間(例、自治体の地域情報システム)では希薄であり、すべてを経済的な記号として決済するビジネス空間(例、銀行のCDシステム)では強い、ということである。しかも、その記号化がより洗練されているばあいに(例、株式のグローバル取引システム)極端であるということである。
 なぜそうなるのか。通信ネットワークというものは人間の活動を等質化する舞台だからである。この舞台がメリットを発揮するのは、ここに登場するプレーヤーが、同一の記号を利用し、同一のルールにのっとり、同一の価値観をもって行動するばあいである。
 このようなシステムの典型例が株式のグローバル取引システムであった。10月の暴落はこのシステムがネットワーク機能を完全に発揮していたからこそ発生したのであった。
 この種のシステムで個人の生活レベルにまで侵入したものも、じつは、少しではあるが現れてきた。たとえば、予備校の実施している共通一次試験評価システムであろう。ここでは、受験生という同一の目標をもつ集団が、偏差値という同一の記号と、試験という同一のルールを使ってゲームを展開しているのである。
● サイボーク化するか、個人ユーザー
 「車社会」というものがある。ここでは「われわれが、1台の自動車を買うとき、われわれはもはや、言葉の古い意味での一つの物体を買うのではない。そうではなくて、われわれは公認された私的輸送体系、高速道路体系、交通安全体系、工業的部品交換体系、効果な保険体系、に参加するために3〜5年間のリースを購入するのである」(J.バーナム)ということになる。
 そのあげくドライバーは、自分の身体を車に縛りつけ、それを自分の延長として利用することになる。ここには自己をサイボーク化する感覚をヨシとする技術との共存観がある。
 通信ネットワークについては、私たちは個人ユーザーとしては、サイボーク的なレベルにはまだ到達していない。消費者としては、なお覚めたレベルにある。ということは、裏返していえば、私たちは、個人レベル、消費者レベルでは、ネットワーク技術が提供する可能性を十分に使いきってない、ということにもなろう。
 だが、どうだろう。もうパソコン少年がいる。かれらは案外、ネットワーク人間のプロトタイプなのかもしれない。そうだとすれば、ファミコン・ゲームを家庭に提供した人は、ネットワーク社会における「クリエイティブ・ファースト・ユーザー」ということになるかもしれない。                   

   
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