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   歴史に見る著作権制度の変貌 移行期のデジタル著作権(T)                                                                       

                       『Cyber Security Management』 60号 2004年                                                         
   

1 狙い
 著作権制度は90年代に急速かつ大幅に変わった。その変貌の原因を列挙すると、次のようになる。
  ・多様なデジタル著作物が新しく開発された。
  ・これらのデジタル著作物が新しい市場を作った。
  ・このために著作権制度をめぐる利害関係者が大幅に増えた。
 問題は、この変化があまりにも激しかったために、著作権制度そのものがその場しのぎ的にバージョンアップされたことにある。その結果、現行の著作物制度は精緻にはなったが、同時に複雑になった。
 本報告の狙いはデジタル著作権の全体像を示すことにある。したがって著作権制度について逐条解説的に細かく記述することは避ける。むしろ、この制度について、それを歴史的な流れのなかで理解することを試みる。本報告は 2編に分かれる。まず前半においては、非デジタル著作物に対する既存の著作権制度について、その歴史的な経緯を紹介し、後半においては、デジタル著作物を含めた著作権制度について、その近未来の姿を予測したい。
  
2 著作権制度の歴史
2.1 2つの流れ
 著作権制度というものは、その理念にせよ、枠組みにせよ、歴史の流れのなかでつねに同じであったわけではない。それは、その時々の社会的な要請のもとに変貌してきた。歴史をたどると、ギリシャやローマにおいても、著作権もどきの挿話を拾うことはできるが、それはここでは省く。中世においては、著作物の制作すなわち超越的なイデアのコピーであると理解されていた。ここには近・現代的な著作権思想はない。
 ルネサンスにいたって著作物に関する権利意識が現れる。これはまず印刷術というコピー技術の発明があり、これが出版というビジネスを創出したことに始まった。技術というものはだれにもアクセス可能である。したがって本来の出版者以外に、多くの別人がこのビジネスに参入して海賊出版を試みた。その本来の出版者は、後続の海賊製品を禁止するために社会的な規律の制度化を求めた。これに応えて、国という世俗的な権力が最初の出版者を保護する制度を作った。国はその見返りとして、出版物を検閲できるようになり、くわえて出版認可料を手にすることができた。これが著作権制度の原型である。
 18世紀になると、出版物に対する権利はしだいに出版者から著作者へと移った。この流れはまず英国、ついで米国、さらにはフランスへと拡がった。ただし、この流れを作った理念には次の二つの型があった。
  ・著作者は著作権という自然権をもつ。
  ・著作者に著作権というインセンティブ(報酬)を与える。
 前者はフランスにおいて、後者は米国において発展した。
 自然権型は、英国の哲学者ロックの理論を下敷きにしたものである。ロックの理論はつぎのように論理である。
  ・私の身体は私のものである。・私の身体が作り出した物も私のものである。
  ・私の作り出した著作物も私のものである。この権利は、生まれながらにして神から与えられた権利であり、だれもそれを侵すことができない。
 インセンティブ型は、米国憲法がはっきりと示したものである。それはつぎのような論理である。
  ・著作者にはその著作物に対して排他的な権利を与える。
  ・この権利があれば、著作者は著作物を製作する意欲を高め、結果として学問や芸術が進歩する。
  ・ただし、著作者への権利付与は一定期間にかぎり、あとは社会の公有物にする。
 現代の著作権制度はこの2つの理念を併せた枠組みをもっている。現在の著作権は「著作者人格権」と「財産権としての著作権」とを含んでいるが、前者は自然権思想を、また後者はインセンティブ論を、それぞれ反映した形になっている。
 著作者人格権は、権利者を個人−−原則として−−にかぎり、著作者の名誉を著作物に権利として埋め込むものである。これは一身専属、譲渡不能の権利である。いっぽう、財産権としての著作権は、著作者に一定期間にかぎり与える排他的な権利である。こちらが著作権ビジネスのなかで取引の対象になる。
   
2.2 国際化
 法律は適用範囲を自国内にかぎっている。このために、本国では違法なコピー製作を、本国の法律の及ばない国外で製作し、これを輸入するというビジネスが現れた。これは著作権制度が設けられるとともに出現し、つねに存在してきた海賊的なビジネスであった。これを禁止するためには、各国が同じ保護水準の制度を設けなければならない。このために19世紀後半に著作権に関する国際条約が採択された。これが「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」(略称、ベルヌ条約)である。この条約は自然権を理念とするフランスが主導権をとって作ったものであった。
ベルヌ条約には次の3つの原則がある。
  ・無方式主義。
  ・内国民待遇。
  ・最低かつ共通の保護水準。
 まず、無方式主義とは権利取得について、なんの手順も必要ないことを指す。どこかに登録することも、なんらかの著作権表示をすることも条件とはされない。つぎに、内国民待遇とは他国の著作権を自国の制度で保護することを指す。また、第3の原則に対しては、それぞれの国がこれ以上の保護水準を作ることは認めている。
 20世紀に入り、ベルヌ条約について次のような議論が生じた。それは他者の著作物に付加価値をつける人びとにどんな権利を付与すべきか、ということである。具体的には、実演家、レコード事業者、放送事業者がここに入る。本来の著作者に比べれば、これらの人びとの行為には創作性が低い。そのような人びとに著作権並の権利を付与できるのか。この設問に応えて「著作隣接権」という権利が新しく設けられている。
この隣接権は20世紀後半に国際条約を設ける試みとともに検討され、その成果は1961年に「実演家、レコード製作者及び放送事業者の保護に関する国際条約」として結実した。レコード製作者については、後年さらにこれを補完する条約も設けられている。
 ベルヌ条約には、制定後ほぼ 1世紀にわたり大きい課題が残っていた。それは米国がこの条約に未加入だったことにある。米国は、出版にせよ、レコードにせよ、映画にせよ、コンピュータ・プログラムにせよ、著作権ビジネスにおいて世界で最も活動度の高い国であった。その米国がこの条約の枠の外にあったことは、この条約のあり方に大きい歪みをもたらした。
 その米国は次のような特徴をもつ制度をもっていた。
  ・方式主義。
  ・著作者人格権なし。
  ・著作隣接権なし。
 第1については、著作者が著作権を得るためには「サークルC」の記号と著作者名、発行年とを付け、同時に著作権局に登録しなければならなかった。第2については、州法のなかで実質的に保護していると主張していた。第3については、レコード会社に著作権を与えている。
 米国政府は80年代になって知的財産権の強化政策をとり、同時に、この分野における在来の孤立主義を棄てた。その流れのなかで1988年にベルヌ条約に加入した。このときに、米国は自国の制度をベルヌ方式に変更しなければならなかったが、それは最低限の名目的なものにとどめた。この後、米国は著作権の分野においても国際的に大きい存在感を示すようになった。
   
2.3 市場化
 ガット(貿易と関税に関する一般協定)の参加国は、西側先進国は80年代の半ばに第3次の多国間交渉を始めた。これがウルグアイ・ラウンドである。このなかに知的財産権に関する交渉もあった。その成果は、1994年に「知的所有権の貿易的側面に関する協定」(略称、TRIPS )としてまとめられた。この協定は、著作権を含む知的財産権が貿易財としての意味をもつようになったことを示している。著作権についていえば、TRIPS は次の点においてベルヌ条約の枠組みとは異なっている。
  ・著作者人格権を無視している。
  ・著作隣接権についてあいまいに規定している。
 つまり、TRIPS には米国の主張が通されている。したがって、この条約は米国の制度を世界規模に拡大するものとなった。
 1993年、ヨーロッパ諸国は市場統合をおこなってEUを結成した。この統合を目指して、ECは80年代から域内各国における制度の調和を図るために、各種の指令−−国際条約の一種−−を採択していた。著作権分野における指令には、コンピュータ・プログラム、貸与権、衛星放送、保護期間、データベース、全分野の調和に関するものがある。
   
2.4 デジタル化
 80年代になるとコンピュータ・プログラムやデータベースと著作権との係わりが議論されるようになった。ただしベルヌ条約はこれに対応できなかった。それはベルヌ条約には新しい型の著作物の保護には関心をもたない多数の第三諸国が加盟していたためであった。各国はとりあえず個別に国内法を改正して新しい著作物の保護に当たった。米国は1980年にプログラムを、また日本は1986年にデータベースを、それぞれ著作権の保護対象とした。どちらも世界で最初の試みであった。
著作物のデジタル化の流れは、90年代に入るとともに、さらに活発になった。これは衛星放送やインターネットの商用化とともに一挙に加速化された。この環境のなかで、ベルヌ条約事務局の世界知的所有権機関(WIPO)は、ベルヌ条約とは別建ての形で新しい著作権条約を設けた。これが1996年に採択された「WIPO著作権条約」と「WIPO実演家・レコード条約」である。この後、先進諸国はこれを参照しながら国内法を改正している。この流れは現時点にいたるまで続いている。その具体的な内容については本報告(U)において紹介する。
   
3 著作権制度の変貌
 ベルヌ条約からWIPO著作権条約にいたる間には約1世紀が経過している。当然ながら、この間に社会、経済、ビジネス、技術は大幅に変わっている。だが、法律家はベルヌ条約の中心的な理念はそのまま存続しているという建前で著作権制度の運用をしている。このために、現実の制度には綻びができかけている。これを確認するために、まずベルヌ条約が原則あるいは前提にしていたものを挙げ、次にそれらがデジタル環境でどう変化してきたかを示そう。
   
3.1 ベルヌ条約の原則あるいは前提
 (1) 表現の保護:制度の目的は著作物の「表現」を保護することであり、その「内容」は自由にコピーできることになっていた。
 (2) コピーの保護:制度のもう一つの目的は著作物の「コピー」を保護することであり、それに「アクセス」すること、あるいはそれを「使用」することは自由であった。
 (3) 著作権の優位:著作権のほうが著作隣接権よりも優位であると理解されている。前者には創作性の存在が不可欠であるが、後者はそうではないからである。
 (4) 天才的な著作者:著作物は少数の天才的な著作者によって製作される稀少な商品であり、これが多数のユーザーに一方向的に送られる。
(5) 私的領域の分離:著作権の及ぶ範囲は市場のなかに限られる。したがって私人の行為は「私的使用」として著作権の適用範囲外になる。
(6) ボトルネックの管理:著作物の流通経路のなかにはボトルネックがある。権利者はここを管理することによって著作権をコントロールすることができる。そのようなボトルネックとしては、たとえば書籍の場合には出版社あるいは印刷会社があり、映画の場合には現像所がある。
 (7) コピー製品の劣化:著作物はコピーによってその品質が劣化する。この技術的な制約によって、コピーの繰り返しによって市場価値のあるコピーを作ることはできない。
   
3.2 デジタル環境による変質
 (1) 表現の保護:権利者は、表現ではなく、その内容を保護したいと主張するようになった。たとえば、コンピュータ・プログラムでは「アイデア」という内容が、データベースでは「事実」という内容が保護対象として求められている。
 (2) コピーの保護:権利者は、自由なアクセスを禁止したい、自由な使用を禁止したいと主張するようになった。たとえば、データベースのアクセスをコントロールしたい、プログラムの使用をコントロールしたいという要望が現れてきた。
 (3) 著作権の優位:権利者のなかの力関係が変化した。著作権ビジネスにおける生産額にせよ付加価値額にせよ、その金額は隣接権者の取り分のほうが著作権者のそれよりも圧倒的に大きくなった。
 (4) 著作者の尊重:私的領域にいる著作物の最終ユーザーが、プロシューマーとして著作物を製作するようになった。このようなプロシューマーが著作権フリーの著作物を生産するようになった。このようにしてフリー・ソフトウェアが出現した。
 (5) 私的領域の分離:インターネット技術の発達は、私人の行為であっても市場に影響を及ぼすものが出現してきた。たとえば、ファイル交換プログラムが私人にこの種の行為を可能にしてしまった。
 (5) ボトルネックの管理:コピー装置が低価格になり、社会の全分野に拡散してしまった。くわえてインターネットがコントロール不可能な流通路を作ってしまった。これにより権利者が確保すべき著作物流通のボトルネックはなくなってしまった。
 (6) コピー製品の劣化:デジタル技術はまったく劣化しないコピー製品を作ることを可能にした。このために、著作者はコピー製品のさらなるコピーにも注意しなければならなくなった。
 このような変化は、著作権ビジネスの形を大きく変えつつある。これについては次号において示そう。

   
    名和小太郎   グーグル論(15)  
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