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   計算違い      
   

   
                                                         『数学セミナー』 32巻6号 1993年 
   

齢60にして、私は二流の技術者から末席の法律家へと転職した。案 の定、文化衝撃にとまどっている。
 たとえば、引用文献の表記法に面くらった。技術系では、著者名、論文名、雑誌名、巻、ページ、発行年の順になるが、法学の世界では「12,Harv. L. Rev., 3456」のように、雑誌名と巻の順序が逆になる。
 こんなぐあいに、発想がまるっきり反対、というものが少なくない。とくに困惑したのが、‘計算違い’ つまり‘エラー’に対するセンス。
 なにせ、私は、この歳になるまで、「計算違いはあって当然」という世界で暮らしてきたのだ。それが、法律家諸氏は「‘エラー’?それは‘過失’でしょう」とこともなげにおっしゃる。
 物理の学生時代、坪井忠二先生にタイガーの使い方をみっしり仕こまれたことがある。そのときに「加え算は間違いなく間違える」というコンセプトも詰めこまれた。
 バーローの『数表』は前世紀にできたので、誤植の訂正が確かだ。それに引きかえ、林桂一の『高等関数表』のほうは両大戦間の出版なので誤りがたくさん残っている。注意しなさいよ!こんなデバグ観も、坪井先生から教えてもらった。
 卒業後、私は、いくつかの会社や職種を、転々とランダム・ウォークしてきた。だが、一貫していたのは、コンピュータに付き合いのあったこと。一生、ソフトウェアのデバグを生業にしてきたわけだ。
 一時期コンピュータ室長をやったことがある。このとき「計算違い=正常」観、つまり「バグはあって当 たりまえ」論に、磨きがかかった。
 もともと、ソフトウェアのテストには膨大な手間と時間がかかる。漏れのないテストなど、とてもできない。だから、完全なソフトウェアというもの、まず、ありっこない。
 それが証拠に、量子論、ゲームの理論、原爆、コンピュータと、行クトコロ可トシテ成ラザルナシのフォン・ノイマンですら、バグのあるソフトウェアを書いたらしい。  だいたい、ソフトウェア屋のやっていることといったら、毎日がデバグだ。バグのなかで暮らしている。だから、バグを無視するほうが非日常的だ。バグなど気にしない。
 と、まあ、こんな職業的良心兼職業的美学(?)が擦りこまれてしまった。
 まずいのは、慣行として、ソフトウェア屋がバグを‘エラー’と呼ぶこと。このコンテキストでは、エラ ーはなんら恥ずべきことではない。
 もちろん、ソフトウェア屋は、コンピュータが計算違いをすると、一応は、神妙な顔をします。だが、内心では、これっぽっちも悪いとは思ってない。この伝で、これまで暮らしてきた。
 ところが、である。「‘エラー’というからには‘過失’でしょう。責任はどうなりますか?」という世界に弟子入りしてしまった。さて、これも私の‘計算違い’、か、な。

   
    名和小太郎   テキスト論(1 )                              トップペ−ジへ  テキスト論リストへ  次へ