メモの効用

   
    メモの効用      
   

   
                                                         『一冊の本』 3巻8号 1998年
   

「次世代の本はどんな形になるんでしょうか?」。こんなわざとらしい質問をしてみた。わざとらしいといったのは、電子図書館のあり方についてあれこれ議論をしていた審議会のすぐあとの懇親会の席上だったから。つまり、この質問は「インターネット」「WWW」「ハイパーテキスト」といった言葉に慣れっこになっている人たちに投げたことになる。
 「メモでしょう。先日ある集会がありましたが、まえもってテキストが配布され、それを読んだ上でメモをつくり、そのメモだけを持って参加せよというルールでした。これはよかった」。通信工学の大家、I先生の答えであった。
 「次世代の本はオン・ディマンドでページ単位に検索できる電子本だ。読者が読みたいときに読みたいテキストを勝手にコピーできる本だ。つまりは新しい形式の写本なんだ」。こんなことを言いたくて企んだ質問だったので、I先生のお答えにはぐらかされた感じ。だが、私が面食らって黙りこんでいるあいだに、まわりの談笑は弾んでいた。
 「元のテキストとメモとでどっちに市場価値があるんでしょうかね?」「メモでしょう」「メモは書き手によって違いますよ」「だからこそマーケットで値がつくとはいえませんか」。こんな対話が続いていた。委員の諸氏は図書館の専門家や理工系の研究者であったが、この会話の進行にはだれも異論はないようであった。
 このとき、私は若いNさんが過日、遊びにきたときの会話を思い出していた。Nさんは中央銀行の研究者である。私は訊ねた。「電子マネーの議論が盛んですね。このテーマについて情報を集中して持っているところはどこなの? あなたのところ? ほかの銀行? 所管の役所? 大学のだれか? どこかのシンクタンク?」
 「それがないんです。とにかく情報が多すぎる。ジャンク情報も多い。だから、同好の士を募って、手分けをして集めるしか手がありません」「集めた情報をどうなさっている?」「分担して読み、評価し、メモを作って交換しています」。ここでもメモが顔を出してきた。
 メモというもの、原テキストに比べてどんな意味を持っているのかな。要約、参照、引用、注釈、翻案、再定義、キーワード付加、編集、索引、目録、文献リスト、レビュー、二次資料、二次的著作物――こんなところか。どんなメモでもこのなかのいくつかの特徴を含むが、はっきりいえることは原テキストの単なるコピーではないということだ。なにがしかの付加価値を足している。
 この付加価値だが、一言でいえば、原テキストの情報を圧縮しているということだ。たとえば1冊の本を1ページに詰めこむことができる。同時に「情報の圧縮」という言い方は「知識の凝縮」としても理解できるだろう。1編のメモであっても、そのなかには先人の数多くの知的成果が集積している――こうもいえる。
 「なるほど、メモは情報圧縮の手段なんですね。情報圧縮というと、エンジニアはとかくMPEG(エムペグ、動画像情報の圧縮技術)がどうのこうのと口走りがちですが、メモは情報圧縮、さらには知識の集積の有効な手段なんですね」。私はこんな台詞をI先生に返すことができたはずだ。
 電子化の時代にメモはどうなるのだろう。やや極端論だが、メモが主となり原テキストが従になる。なぜか。情報の過剰な供給がますます加速されるから。インターネット環境においては、著者と著作の数は指数関数的に増えている。だが、読者の数は従前通り、しかも読者の持つ読書時間は1日24時間の枠を超えることはできない。
 だからインターネット環境では、だれがどんなテキストをどこに書いているという案内サービスが大切になる。案内されないテキストは存在しないことになるから。もちろん、こんなことは皆さん百も承知のことであり、だからこそ、サーチ・エンジンが開発されたり、コーパスやシソーラスが電子化されたりしている。
 これから情報通信市場に普及するのはプッシュ技術(例、テレビ)かプル技術(例、データベース)か。こんな議論が昨年来やかましい。情報の利用について、送り手に見計らいでオマカセするものが前者、受け手が自分で注文するものが後者である。この視点でみると、メモは前者、サーチ・エンジンのたぐいは後者、ということになる。市場の見方は、プルの愛好者はせいぜいマニアどまり、大方のユーザーは横着なのでプッシュか、というものである。とすれば、メモは電子メディアでも役立つはず。  つけ加えれば、すべての本が電子化されるわけではなかろう。奈良に建設されつつある第二国立国会図書館は、電子図書館の機能を備えるとはいいながらも、15年分の図書を保管するために、いま巨大な地下室を掘りはじめようとしている。しかも、この書庫でも十分ではなく、2017年には溢れてしまうという。紙メディアにおいても、情報の指数的増大が予想されているわけだ。つまり、こちらでもメモの効用が期待されるということ。
 と、ながながとメモの効能を讃えてきたのは、だから私もメモ集を作りました、という手前味噌を並べるための伏線。どんなメモ集か。題して『科学書乱読術』、科学書と技術書に関する読書メモ集である。著者としては面映い言い分だが、どなたかがメモとして引用してくださることを心待ちにしている。

   
    名和小太郎   テクスト論(15)                                トップペ−ジへ   テキスト論リストへ