傍目八目txt17

   
   傍目八目      
   

   
                                                         『地震ジャーナル』 43号 2007年
   

 ひょんなことで、門外漢が本誌の巻頭を汚すことになった。私は地球物理の学生ではあったが、卒業後半世紀、地震とはまったく縁のない世界で仕事をしてきた。本欄になにを書いたらよいのか。正直、困惑している。
 執筆の参考にと編集部からいただいたバックナンバーをぱらぱらと拝読して気づいたことがある。それを紹介させていただこうか。まず、各論文についている引用文献表だが、もちろん新しい研究成果も参照されているが、遡って1970年代の文献もそれなりに引用されている。
ひるがえって私の研究分野をみると、それは情報システム関連であるが、ここでの論文の引用は、そのほとんどが21世紀のもの、まれに1990年代のものが混じっている、といった調子である。つまり論文の寿命が短い。陳腐化が激しい。こんな世界であくせくしているものからみると、本誌に登場なさる研究者諸氏に羨ましさやら、さらには妬ましさまで感じる。
もう一つ。その引用表だが、きちんと「雑誌名、○巻、○号、○ページ」と記載されている。ひるがえって私の世界では などという引用が少なくない。これらに、10年先、20年先にもアクセスできるのかどうか。かなり心配である。
 本来、学術研究は「巨人の肩の上に」というシャルトルのベルナールの箴言が、つまり知識の累積がものをいう世界であったはず。だが上記のように、近年は競争が優先され、研究論文が生鮮食品なみに消費される分野も増えてきた。ただし本誌を拝読するかぎり、著者も読者もそんな流行には見向きもしていない、とお見受けした。これが「忘れた頃に来る」といわれるテーマを扱っていらっしゃる方がたの心意気なのだろう。
私の関心テーマの一つにデジタル・アーカイブがある。いま課題になっていることは、デジタルデータの長期保存問題である。デジタル分野ではハードウェアやソフトウェアの技術標準は短寿命である。それらの世代交替も頻繁である。その世代交替を乗り越えてデータをどのように保存していったらよいのか、これが懸念されている。だが本誌の著者は、そして読者もすでにこの課題に心していらっしゃることだろう。とすれば心強いことである。
ここで、なによ、いまさら分かりきったことを、と半畳を飛ばされるかもしれない。だが本誌40号の編集後記に「文章は欠陥品でもよい」と書いてある。この言葉に甘えさせてもらった。

   
    名和小太郎   テキスト論(17)                               トップペ−ジへ   テキスト論リストへ